「とんねるずのみなさんのおかげでした」などテレビにも積極的に出演して品のある姿をみせている元谷芙美子さん。
始めて見た方はあっ「私が社長です」のおばさんだ!と思うでしょう。
トレードマークの帽子をかぶりアパ社長と呼ばれていますが、本当はアパホテルの社長です。
ご主人がアパグループの代表です。
東京の5億?の豪邸を披露してくださったりとっても気さくなおおらかな女性だと感心しました。
目次
アパホテル社長元谷芙美子の年齢は?
ヨーダのような不思議な雰囲気を持つ元谷芙美子さん。
1着が50万円以上しそうな洋服を着こなし、素敵な帽子をいつも被っていますが、元谷芙美子って一体何歳なのか?調べてみました。
なんと1947年(昭和22年)7月8日生まれの70歳でした。
元谷芙美子の出身と学歴は?
福井県出身
学歴は福井県立藤島高校卒業
福井県下一の進学校です。
ほぼ全員が国公立、有名私立大学へ進学するという有名進学校です。
アパが東京へ進出した時に念願の大学入学を叶える
2001年に法政大学人間環境部入学し2005年に卒業しました。
その後
早稲田大学院高校経営研究所に入学
2006年に修士号取得、同年博士課程に合格する。
一時期博士課程を終了したのかどうか?話題になった事があります。
あの忙しさの中で大学へ通うのは大変だったでしょうね。
博士課程の道へ進むだけでも本当に立派だと思います。
アパホテル社長の元谷芙美子さんは大学へ進学するという夢を描いていたのですが、父親の病気の為に進学を断念して福井信用金庫へ就職しました。
でも大学へ進学しなくて正解でしたよね!
雄大な夢を持った男性に就職先と出会えたんですもの。
大学に進学していたら普通の主婦に収まっていたのではないでしょうか?
ところで元谷芙美子の旦那って誰?
アパホテルの広告があまりにも有名なので、ご主人が霞んでいるように思われますが、ハッキリ言ってアパホテルの社長よりもアパグループ代表の旦那の方が有名です。
元谷芙美子の旦那は元谷外志雄(もとやとしお)
出身地は石川県小松市
氏年月日は1943年(昭和18年)6月3日生まれの74歳
ペンネーム藤誠志で本も出版しています。
アパグループの中ではアップルタウンという雑誌を発行してアパが手がけたマンションに時々配布しておりその中でコラムを執筆しています。
アパグループ社長夫婦の銀婚式のプレゼントが素敵過ぎる
以前テレビ番組でアパホテル社長の元谷芙美子さんが東京の自宅を公開していました。
そこでお二人の銀婚式の時のプレゼントを見せてくれました。
金庫に入っていてなんで?と思ったのですが見て納得。
なんと有名なブランドの高級時計でした。
GOLD
金色にうっとりしました。
お値段は腕時計1個が2500万円だとか。
さすが私が社長です!だけあるな~
アパホテル社長の年収が5億5千万円と言われているだけあって
素敵な銀婚式のプレゼントだと感心しました。
元谷芙美子の息子は何をしているの?
アパホテル社長には息子さんが2人います。
元谷芙美子の息子で長男は?
長男の元谷一志(いっし)さんはアパグループ株式会社代表取締役社長になっています。
元谷芙美子の息子で次男は?
次男の元谷拓さんはアパグループ株式会社代表取締役専務です。
息子さん2人がアパグループに入社して力を合わせて経営をしてくれるなんて頼もしいですね。
元谷芙美子の広告をブサイク?と言った教授がいるとか
息子さんが大学時代にある講義で教授が提示して広告がなんと自分のお母さん「私が社長です」だったので驚いたというエピソードがあります。
なんと教授はまさかアパホテル社長の息子が生徒にいるなんて知らないで「これは駄目な広告の例だ」と言ってのけたそうです。
まさかブサイクとまでは言ってないと思うのですが・・・
アチャーって感じですよね。
最強運の持ち主の元谷芙美子さんの若い頃は?
運命に身を任せたら運が開けたという感じの元谷芙美子さんですが、1歳の頃に福井地震が起き実家が倒壊してしまったとか。
その時なんと家が倒壊して下敷きになっているはずだったのですが、倒れた仏壇が観音開きになって倒れて来て難を免れたのでした。
福井地震は今でも語り継がれるくらい悲惨な状態だったそうです。
そんな中で生き残ったのは強運意外の何者でもないでしょう。
元谷芙美子は営業センスがあった?
旦那の元谷外志雄が小松信用金庫(現在は北陸信用金庫)を辞めて不動産業に参入しました。
その時土地を買い、家を分譲しました。
なかなか売れない時に当時主婦をしていた元谷芙美子さんが営業を担当する事になりました。
普通の感覚ですと家1軒でもなかなか売れるわけないですよね。
ところが元谷芙美子さんは元々営業のセンスがあったんです。
元谷芙美子のおかげで家がドンドン売れたんです。
との時のお金を元にどんどんアパを拡大していったのでした。
更にはマンション建設にまで発展するのですがマンション事業が軌道に乗った頃には元谷芙美子さんはまた普通の主婦に戻っていました。
マンションが拡大し続けると今度は利益が出るのは良いのですが、税金がかなりかかる!
そこでマンションを販売した利益でホテル建設を思い立ったご主人の元谷外志雄(もとやとしお)さんが社長を誰にするか考えた時に白羽の矢が立ったのが営業センス抜群の嫁だったのでした。
細やかな所にまで目が行き届き客室には折り鶴を置く事を提案して社長の辣腕を発揮する元谷芙美子でした。
アパホテルの広告塔になり「わたしが社長です」のキャッチコピーはあまりにも有名ですね。
元谷芙美子の若い頃は営業ウーマン!息子は大学で母がブサイクと指摘されたって本当?
電車の吊り広告、都内のラッピングバス。
アパホテルの屋上の元谷芙美子の帽子がトレードマークの広告にかなり強烈な反応がありました。
批判も沢山ありましたが、それだけインパクトがあり広告としては大学教授にはダメ出しされましたが、実際には成功を収めたといえるでしょう。